アメリカ合衆国北西部に位置するアイダホ州は、1890年7月3日に43番目の州として正式に承認されました。州の総面積は約21万7,000平方キロメートルに及び(日本の国土面積が約37万8.000平方キロメートルと考えると日本の面積の半分を超える)、多くの自然保護区や国立公園が点在する美しい州として知られています。州の経済は農業、鉱業、林業、製造業、ハイテク産業など多岐にわたる分野に支えられています。
アメリカ合衆国 アイダホ州
その中で、ラタ郡にあるモスクワ市は特に興味深い歴史と特徴を持つ都市です。この街はワシントン州との州境沿いに位置し、州北中部に位置しています。郡庁所在地であるモスクワは、豊かな歴史とともに学術都市としても知られ、現在は約26,000人が暮らしています。
1870年代当時のラタ群
おおよそのモスクワの位置
南北戦争後の1871年、鉱夫や農民がアイダホ州北部地域に移住し始め、モスクワ地区への最初の定住者が到着しました。その翌年には郵便局が設置され、当初「パラダイス・バレー」と呼ばれていたこの地域は、1875年に「モスクワ」に改名されました。この改名の真相は定かではありませんが、当時の郵便局長サミュエル・ネフが自身の故郷ペンシルベニア州モスクワにちなんで提案したと言われています。
1872年 最初の郵便局
1886年 馬を使って穀物を脱穀している人たち
町が正式に名前を得た頃には、商業活動も活発になり、地域の商業の中心地として発展を遂げました。1890年までには、オレゴン鉄道航行会社(後のユニオン・パシフィック鉄道)やノーザン・パシフィック鉄道が開通し、町の人口は2,000人にまで増加しました。
1880年 W.J.McConell & Co. 生活雑貨を販売する小売店
1883年 歯科クリニックと、隣接する薬局
1885年 メインストリートのホテル 「バートン・ハウス」
1885年 パレードを見物する人たち
モスクワにおけるもう一つの重要な歴史的出来事は、1889年に認可されたアイダホ大学の設立です。これは、新しいランドグラント大学を設置するという州の決定によるものでした。当時、モスクワはボイシ以外で州最大の都市であり、教育機関としての拠点として選ばれました。大学は1892年10月に最初の学生を受け入れ、現在ではモスクワ市において、学術と文化の拠点であり地域経済を支える雇用の源としても機能しています。
1892年 アイダホ大学 設立
参考:David Rumsey Historical Map Collection
University of Idaho Library Digital Collections